今回は誰でも無料で見学できる東京証券取引所内にあり、日本の証券市場のあゆみや、東京証券取引所の歴史を知ることができる「証券史料ホール」を紹介したいと思います。
ニュースでよく見る東証アローズの見学については下記記事をご覧ください。
施設概要
コース名 | |
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施設名 | 東証Arrows |
見学時間 | 9:00〜16:30(土日祝日・年末年始を除く) |
費用 | 無料 |
最新の見学時間・見学内容等は公式サイトをご確認ください。
アクセス
住所 | 東京都中央区日本橋兜町2番1号 |
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交通アクセス | 東京メトロ東西線 茅場町(出口11)徒歩5分 東京メトロ日比谷線 茅場町(出口7)徒歩7分 都営浅草線 日本橋駅(出口D2)徒歩5分 JR東京駅(八重洲中央口)徒歩20分 |
証券史料ホール
入口・手荷物検査
『証券史料ホール』は東京証券取引所市場館の中にあります。
見学者用の入口は反対側にあります。
こちらの見学者用の入口から入ります。
『証券史料ホール』手荷物検査を受け終わってすぐの場所にある。
こちらが史料ホール。
展示や説明をじっくり見る場合は30分〜1時間程度あったほうが良いと思います。
東証の前進である東京株式取引所の模型。
設立は1878年で現在と全く同じ場所にあった。
東京株式取引所の配置図
昔の株式や公債
日本の証券取引の歩みを見ていきます。
東京株式取引所は、1878年(明治11年)に立会を開始。
今は電子化されている株券も当時はこのような紙の株券でした。
日本で初めて株式を上場したのはなんと『東京株式取引所』でした。
こちらは『大日本東京第一國立銀行』の株券。
東京証券取引所に続いて上場し、日本で最初の株式会社とも言われている。
大日本東京第一國立は、のちに第一勧業銀行を経て、現在の「みずほ銀行」となります。
こちらは『日本郵船』の株券。
商船三井・川崎汽船と並ぶ、日本3大海運会社の1つ。
旧三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎によって設立され、現在も存続している。
こちらは『大日本帝國政府軍事公債』
公債は国が財政収入の不足を補う為のお金を借り入れる際などに発行される。
明治29年(1896)は日清戦争が終わった頃ですね。
『大日本帝国政府整理公債』
大正バブルと財閥の誕生
財閥の誕生
大正3年(1914年)には第一次世界大戦が始まります。
日本やアメリカは本土が戦地にならなかった事や、物資の生産拠点となり輸出貿易が拡大した事により好景気に見舞われ『大戦景気』と呼ばれる大正バブルが発生した。
特に鉄鋼・機械・化学などの重工化学工業が発展した。
経済の発展に伴い、資本の集中や独占が進み、三井・三菱・住友・安田などの財閥が生まれます。
バブル景気では多くの資本家が誕生しましたが、その後に大きな不況が訪れます。
- 浅野財閥(太平洋セメント等)
- 三菱財閥(現・三菱グループ)
- 大倉財閥(大成建設・オークラホテル・関西大倉等)
- 川崎財閥(川崎重工業・SOMPO等)
- 住友財閥(現・住友グループ)
- 古河財閥(古河電機・富士通・富士電機等)
- 三井財閥(現・三井グループ)
- 安田財閥(現・みずほグループ・明治安田生命・東京海上等)
株式・投資ブームに湧く米国
1920年代、日本と同じく好景気に湧くアメリカでは投資ブームが起こっていました。
小規模の投資資金をまとめて大口化できる「投資信託」という仕組みが誕生し、それまで投資をしないような庶民まで投資に熱狂するようになっていた。
投機的なマネーが株式や不動産に流れ込み、誰もが株や不動産は上がり続けると信じていました。
靴磨きの少年
ちなみに有名な「ウォール街の靴磨きの少年」の話もこの時期の話である。
ジョセフ・P・ケネディは、靴磨きの少年に投資を薦められて「こんな子供まで株を始めるなんて、もう次に買う人がいない」と感じて株式を手放したことで暴落時に資産を失わずに済んだという話です。
世界恐慌(暗黒の木曜日)
1929年10月24日(木曜日)、当時の株式市場の花形だった「ゼネラルモーターズ」の株価が下落し、それまでの楽観的な雰囲気が一転した。
その後、相場は一時的に落ち着きを取り戻した。
しかし「もう次に買う人がいないのでは」と皆が思い始めた時、考えることはみな同じである。
翌週の10月29日(火)、24日を大幅に上回る株価の大暴落が起きた。
株の損失を補うため、世界中の株や不動産などの資産に流れていた資金が一斉に引き上げ始める。
これにより経済的に破綻する国や企業が相次ぎ、世界は未曾有の大不況に突入する。
このあたりの流れは、株や不動産などが高値更新を続けて浮足立っている時ほど、頭の片隅に置いておきたい歴史の1つだ。
満州事変と国際的孤立
昭和6年(1931年)に、中国で満州事変が起きます。
米国発の世界恐慌による深刻な不況により、日本の軍部は満州を植民地化して危機を乗り越えようと考え、鉄道爆破事件を起こし、これを中国軍のしわざだとして戦争を仕掛けます。
しかし、国際連盟から派遣されたリットン調査団により、日本軍の行動は否認され、満州国も認められませんでした。
日本は昭和8年(1933年)に国際連盟を脱退して国際的に孤立していき、満州事変から第二次世界大戦の終結までの約15年間、日本は長い戦争の時代に突入します。
戦時中の証券市場では、重化学工業や軍需産業の資金調達にも活用されましたが、戦争が進むにつれて統制経済の中に組み込まれ、市場の自由性は失われていくことに。
有事の際に金が値上がりするのは、紙幣や株式市場に対する信用が下がることの裏返しとも言えます。
戦時統制機関への改編で東京証券取引所は昭和18年(1943年)に解散。
日本証券取引所に統合されます。
こちらは『南満州鉄道』の株券。
株式会社なので株券が存在します。
こちらは『大日本航空株式会社』の株券。
かつて存在した国営の航空会社でしたが、第二次世界大戦の終戦に伴い解散させられました。
現在の日本航空(JAL)とは別の企業になります。
新興財閥の誕生
満州事変期の後半は、会社設立や増資が急増しました。
系列の大銀行を持たない新興財閥は資本が乏しく、重化学工業に必要な巨額の資産を得るために株式公開や公募増資を活発に行いました。
- 鮎川財閥(日産)
- 大河内財閥(理化学研究所)
- 中野財閥(日曹)
- 野口財閥(日窒)
- 森財閥(昭和電工・現レゾナック)
戦後の証券市場
終戦後の昭和22年(1947年)、
戦時統制機関であった日本証券取引所は解散し、全国9ヶ所に会員制の証券取引所を新設。
東京証券取引所は昭和24年(1949年)に立会を開始。
東証開設時の会員に名を連ねていた証券会社。
今も目にする証券会社も多いですね。
敗戦後のGHQ占領下、赤字国債発行によらない財政の立て直しなどが図られます。
また、戦前に資本で力を手にした財閥は解体され、財閥家族と本社が閉鎖的に保有していた巨額の株は一般に売り出さました。
少し余談ですが、戦争で敗戦した国の「財閥企業の株や資産」「国有企業の資産」がどのような変遷を辿るのかは、日本のみならず、世界各国の事例を調べてみることをおすすめします。
終戦から昭和21年(1946年)までの約1年半、本館は米国極東海軍司令部により接収されていました。
取引が再開されるのは昭和24年(1949年)
翌年には朝鮮戦争により軍事関連株が上昇し『朝鮮戦争特需』が発生しました。
株取引の増加に対応する為、東証と大証は米国に視察団を派遣し、株取引の機械に向けて動き出します。
戦後の相場情報の伝達手段はラジオが主で、ボールドという表示板に価格を手書きで作成し、ラジオ局員が双眼鏡でそれを確認し、アナウンサーに伝えて、それを読み上げるという人力作業をしていました。
取引銘柄の増加に対応する為に機械化に乗り出す。
老朽化もあり、昭和52年(1977年)にビル建替の検討もはじまります。
昭和60年(1985年)に現在の立会場が完成。
開場式に竹下登元総理(当時は大蔵大臣(現・財務省))が来場していた時の写真もある。
この場所は見学回廊の奥にあるVIPテラスで、特別な方を迎える場所だ。
この頃は、まだ一部の銘柄は立会所で売買されていました。
しかし、銘柄ごとに段階的にシステム化が進んでいきます。
そして現在の姿がこちら。
ホール内はほぼ無人で静まり返っています。
画面に取引の数字がチカチカと映し出されるだけの空間になっています。
ローテク時代の取引所の成り立ちを見たあとでこちらを訪れると、AIやデジタル化などで合理性を追求した先にある社会の姿をイメージすることができるかもしれません。
写真の「東証アローズ」は、史料ホールのあるフロアのエスカレーターを上がった先にあるので、足を運んで見てましょう。
まとめ
東京証券取引所の見学では、ニュースなどで映る東証アローズを見に行く方が多いと思いますが、時間に余裕があれば「証券史料ホール」も見ていくことをおすすめします。
日本の証券取引の歩みを知れることはもちろん、いまの日本経済や資本主義の仕組みを理解する為の入口としても非常に勉強になります。
最後に「証券史料ホール」の史料を通じて、今後の投資や経済の理解に役立ちそうと感じたポイントをまとめて終わりたいと思います。
戦争と金融
歴史を遡ると「大正バブル」や「朝鮮特需」など、自国が戦地にならず、生産と輸出の拠点となった時に株バブルが発生しています。戦争が起きない方が良いのは前提として、当事者にならないことは非常に重要であることがわかります。
また戦争においては、兵器や物資を輸出したり、利子付きでお金を貸している人がいます。
世界各地で起きる戦争のニュースを見る時は、出来事の表面的な部分だけを見るのではなく、金融の流れを併用して見る必要があるでしょう。
資本家はバブルで生まれる
バブルの時代は、株価の値上がりと共に、財閥や富裕層など新たな資本家が生まれます。日本においても、三井や三菱など、現代まで続く財閥が過去のバブル時代に生まれました。
これらの財閥は、銀行・商社・鉱山、重化学工業など、その国の経済・金融・軍事などの中枢を担う企業を多く抱えていますが、それらの株式は、財閥家族や本社などが閉鎖的に保有していました。
いわゆる政策保有株です。
敗戦後、これらの財閥は侵略戦争の経済基盤になったという理由でアメリカに解体され、財閥家族や本社が閉鎖的に保有していた巨額の株は一般に開放されます。
一般の国民も株式を保有できるようになり、証券市場の民主化が促進されたことは良い点の1つです。
株式=所有
一方、株式が一般に開放され、銀行・商社・エネルギーなど、国の中枢を担う企業の株式を「どのような人達が所有するようになったのか」という視点で各企業の大株主の情報をIRページで調べてみると、面白い発見があるかもしれません。
現在の日本企業も、コーポレートガバナンスなどを理由に政策保有株を手放すよう圧力がかかっています。
資本主義とは「民主化・民営化・所有」であるという文脈で、過去や現在の出来事を俯瞰して見つめると、「株価が上がった」「株価が下がった」など以外の見方ができるようになり、証券市場や資本主義への理解がより深まると思います。
株価が暴落する時
1929年の世界恐慌(暗黒の木曜日)は、株取引をしている人にとって非常に興味深いテーマです。
「暴落のタイミングなんて読めない」「言い続ければいつか当たる」みたいな意見はよく目にします。
確かにそのとおりなのですが「どのような時に暴落が起こりやすい環境が整うのか」という点については、知る価値はあると思います。
日本が大正バブルに湧いていた時、アメリカも好景気で株式ブームが起こっていました。
1929年10月24日(木)当時の花形産業だった自動車のゼネラルモーターズの株価が急に下がり、熱気を帯びていた株式市場の雰囲気は一転して不穏な空気に包まれます。
株価は一旦持ち直しますが、翌週の10月29日に株価は大暴落し、世界恐慌の時代に突入します。
株価は「今より高い価格で買う人」がいなくなると上がらなくなります。
上昇が止まり下落の兆しが見え始めると、今より安い株価で買っていた人は、損失を避ける為に株式を売りはじめることで株価が崩れ始めます。
直近で買った人は「まだ上がる」と思って買っているため、高値掴みをして逃げ遅れる可能性が高くなります。
「今より高い価格でも買う人がまだいるか」は1つの判断基準です。
世界恐慌の章でも書きましたが、大規模な株価の暴落時は「株の損失を補うため、世界中の株や不動産などのリスク資産に流れていた資金が一斉に引き上げられる」といったことが起きます。
こうなると、株式や不動産の価格が適正か、割安かといった理論や理屈は一切関係なくなります。
あらゆるリスク資産から資金が一斉に抜けていきます。
「キャッシュ is キング」になります。
株価や景気の調子が良いときほどリスク資産や負債の割合は高まりますが、現金は決してゴミではないので、現金とリスク資産や負債の割合は、常に致命傷を負うことがないバランスを保つようにしましょう。
愚民化する投資家
本来であれば、投資先企業の収益性、資産性、成長性などを分析して売買の判断をするものです。
しかし、現在のように投資信託やETFによるバスケット買い投資が多くを占めるようになると、お金を出している投資家が気にするのはファンドの評価額のみで、投資先についての関心は薄くなっていきます。
インデックス積立投資のように、大量のお金が一箇所に機械的に流れ込む仕組みができると、ファンダメンタルズでは説明が付かないような株価の値動きを見せるようになります。
投資家は自身の無力さを受け入れ、投資に対する思考や意思決定を放棄し、自らの資産をファンドに供給するだけのマシーンになっていきます。
多くの投資マネーが個別の株ではなく、一部の民間企業が所有する巨大ファンドに集中することで、相場を操る力を持つ者が現れても不思議ではないでしょう。
資本主義とは究極のところ「No1以外は不要」の世界です。
大規模小売店舗法廃止のような規制緩和、国営企業の民営化などは、資本主義を受け入れた国では必ず起こります。
資本主義とは「民主化・民営化・所有」であり、No1がすべてを所有するという世界規模のゲームのようなものです。
自営業者は巨大資本家の下請けや従業員になり、ブロガーはSNSやYouTubeなど巨大資本プラットフォーム内の1アカウントになり、投資家は巨大ファンドにお金を供給するマシーンになっていきます。
資本主義の仕組みが分かってくると、一個人があまりにも小さく無力な存在であることが分かってきます。
しかし、こうした資本主義の仕組みを理解することで、株式投資への向き合い方や、社会やニュースの見え方も変わってくるでしょう。